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 要するに、政党の支持層を経済的な利害や政治理念で組織化してこなかったため、リーダーの人格や能力に関わらずその政党を粘り強く支持する有権者がほとんどいないことが、容易に「ねじれ国会」を作り出し、頻繁な政権交替を招いている背景にある。1年以内で政党支持をコロコロ変える有権者の節操のなさを批判することもできるが、それ以前の問題として、日本の政治状況においては、首相や政党リーダーの「人柄」「やる気」「指導力」といったものでしか、有権者は選択のしようがないのである。2005年の郵政選挙で有権者が支持したのは「民営化」ではなく、あくまで小泉元首相の「抵抗勢力に敢然と戦う改革への熱意とリーダーシップ」にすぎなかった。当時の民主党はもそれに対して「民営化」そのものの是非を問うのではなく、「みせかけの改革」と批判するという戦略を採用して、「改革への熱意」を争点化する道を選択した。

 「改革への熱意」のような漠然としたイメージが政治の争点になってしまえば、有権者が選挙のたびに政党支持をひっくりかえすようになるのは当たり前である。個々の民主党議員には若くて頭の切れる人が多く、政策通も少なからずいる。しかし、テレビの政治討論番組や選挙戦になると、結局は「利権政治」「官僚主導」という言い方で自民党を批判するという論法に陥りがちであった(それを「わかりやすい」と持ち上げていた政治評論家やジャーナリストがいま民主党を批判している)。そして、政策論は「利権政治」「官僚主導」から脱却しているかどうかのイメージが最優先となり、政策の実現可能性や、個々の政策の間を首尾一貫的に統一させる政治理念の提示は後回しになってしまった。

 民主党がこうなったのも、この政党が長年対峙していた政権与党の自民党が、反市場主義者や護憲派を含む「包括的政権政党」であったことも背景にある。もともと自民党には地方後援会組織の緩やかな連合といった性格があり、小泉純一郎、亀井静香、与謝野馨といった、お互いに共通点のないほど政策理念が異なる人物が長年同じ政党に属し、しかもしばしば同じ内閣の一員でさえあった。つまり野党の側からすると、政策理念で差をつけようとしても、当の自民党議員には暖簾に腕押しであり、世論に訴えるものでもなかったため、「土建政治」「官僚政治」といった政権運営の在り方や支配の構造そのものをターゲットにせざるを得なかったわけである。かつての自民党も、政策や政治理念が支持されてきたというよりも、あくまで「執政党」として支持されてきたのであり、実際野党になった現在でも、相変わらず「現実的な政権担当能力」を「未熟な民主党」との違いとして看板に掲げている。